東京からウィーンに戻ってきた。元々半径3キロ以内で生活している私。(計算した。スタジオー自宅ー大学)。飛行機は時速約860キロメートルらしい。1時間で860キロを移動したなんて信じられない。暫く寝込んでしまった。風邪を引いた時の猫みたいに、飲み食いもせず、じっと寝ていた。もしかしたら自分のからだの細胞の一部がまだウィーンに届いていなかったのかもしれない。移動に耐えきれない不完全な身体。今回の日本ーウィーン間の旅で気がついたことは、私という存在はここに確実に住んでいる、ということだった。ドイツ語もいまだによく分からないし、もはや何語も使いこなせているのか怪しい。死ぬまでここに住んでいいという法律の元の証明も持っていない。しかしなぜか空港から自宅へ戻る地下鉄のなかで、「私はウィーンに住んでいるなあ。」という呑気な自分の声色がお告げのように脳内に響いたのであった。「外から来た人」と「ここに住んでいる人」という二つのカテゴリーが、ベン図(Venn diagram)のように重なったところ、に、自分は住んでいる。ある日は「外から来た自分」という意識が濃く出るし、「ここに住んでいる人」という自認が濃くでる日もある。そのどちらもが同じ割合で出ることは珍しい。いつまでも対象を捉えられないカメラのレンズみたいに、世界はぼやけたりとてもよく視えたりする。ネイティブだと自動でフォーカスしたり、光量を絞ったりするのだろう。意味を、言葉を、人間の感情を、読解するまで時間がかかる。最近、その時間を焦ったり悔しがったりしないで、有難いと思うことができる気持ちが増えた: 来客が苦手な人の家に招かれたときの、その人が長い時間をかけて丁寧に淹れてくれたコーヒーや、不恰好な手作りのケーキを感謝して食べている時の気持ちに似てる。