いつも壁に向かって話しかけているみたいな感覚。

でも気持ちがいい。

私にも何も届かない、私の声も聞こえない。

音に、声に、見るもの全てに感動する。

触れるものにも、触られることにも嬉しいとすら思う。

アダルトビデオの見過ぎで不感症になってしまったのなら、

アダルトビデオをもっと見ればいい。見た先に何があるのか、

知らなければいけない。

私は怖かった。

他人が怖かった、触ることが怖かった、学者ぶって作品を作ることが怖かった。

痛覚や気に入らなかった人たちをミキサーに入れて全部混ぜたみたいな気持ちで毎日生きていた。

みんな誰かの恋人で、みんな誰かの子どもで、親であることが怖かった。

別れすら喜びに思おう、

ここにいることを当たり前と思わないで、

毎日嬉しいと思おう。

毎日私はstrangerで、

毎日私は誰かの恋人で、

あなたの為にここに居る。

そういう気持ちで毎日絵を描こう。

ここに来てもうすぐ半年が経つ。

私は今生きていて、確かにここに影がある。

誰かの習慣を大切に思おう。

誰かの代わりに泣いてみよう。

そうすることでしか、「世界」を知ることができない。

自分のことを愛しいと思うのが先か、自分が死ぬのが先か。

私には分からないけど、

そういうことを受け止めてみよう。

なんとなく眠りに落ちるのが怖いとき、

確かに「手」はあって、

ずっと繋いでいる。