どこが大文字になるのか、どこが小さくなるのか。

果たして私の作品は饒舌な生き物なのか。

英語は饒舌か。日本語は寡黙か。

漢字に生かされ、ひらがなに殺される性よ。

ただ、笑え。

眉毛の一本も無駄にしてはならない。

こうしてただ生きているだけなのに

どうしてこんなにお金がかかるの。

爪一本を塗りたいことは

贅沢なことなの。

 

English is not international.

”Speak loudly!”

But  I couldn’t, you couldn’t.

Because we were broken.

 

aaaaaaaa a

Which is an article? ↑

 

I try to be perfect.

Mission impossible.

Sometimes it become just a abuse.

Nail color is brown.

It is not my skin color.

 

—-3rd October 2017

How am I?_______(silence)

_____I don’t know.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13rd.June.2017

 

 

 

 

 

 

 

 

About “blink”

 

 

“Hand” is a symbol of anonymity and identified.

Of course how treat to kind of identity is definitely unavoidable theme for art works.

Therefore when I start to make some portraits, inadvertently try to erase (instead of express) to any categorize (skin color, eyes and clothes…)

 

 

One Japanese philosopher says,

“ We are people first, and a nation second.”

(我々は民族的である前に人類的である。)

 

 

“Hand” contains some specific things plus it tries to tell us about a hand owner.

Treating “ hand” is tantalizing…!   Well….. it is not directly way to expression, I know.

Therefore I make sense to this way: how to use “hand”.

 

 

13rd. July.2017

今話してることよりももっと言いたいことがあるのに

こんな状態の体ーー誰かに首を締められているときの安心感のほうがまだマシだ

そんな言葉でいいの!?

いつもフローティングする、滑っていく、どうしよう、どうしようもない

「風が吹いてカーテンの隙間だ開く、光があらわれる」

この程度の情報は、誰かと共有した方がいいのかもしれない

どこに行くのか、どこに居るのか分からない

風、が吹いて、散らばるオセロの白と黒と

マジョリティなんかすぐに変わる

聞き取れなかった歌詞

次のメロディーが来るまで

それを口のなかで泳がせている

7.May.2017

言葉が、分かる、と分からない、の間、はあるのだろうか。

例えば少し自分がかじった言語を話す人が目の前にいたとして、その人が話す言葉のいくつかの単語だけが分かる状態。ただ私は予測することしかできない、分からない、という空白を予測で埋めるしかない。(分からないことが接着剤になるの?分かるということが薄利剤になるの。)

私は、あなたのことを分かりたいと思う。どこで生まれたとか、何が好きとか、この間泊まったロンドンの古くさいホステルの話とか今話してることじゃなくて。それは知りたいことであって、分かりたいことじゃない。言葉が分からないと、私達は簡単に「理解できない」というレッテルを人に貼る。私にとって単なるメロディーに聞こえるその外国語は、あなたにとって、あなたの体重がのっている言葉だ。あなたにとってメロディーに聞こえる私の言葉は、私にとって、他人とコミュニケートする重要なライフラインだ。

年を取り、近い将来私は言葉を忘れていく。病に蝕まれるように少しずつ。その時に私はあなたを忘れるのだろうか。触覚ーーもしかしたらそれだけが、最後まであなたを覚えている私の手段かもしれない。容量のあまり多くない私の脳みそは、最近母国語すらも(生きていくために)勉強している外国語に押されて、怪しいものになっていく。家族とももうすぐお別れ。だけどそんなに悲しいことじゃない。少し聞こえる音、老眼でぼやけて見える形。

はあ。触れる手だけが、いつまでも若々しく、私に生きる希望を持たせようとしていじらしく憎い。

5.May.2017

this is not my language

this is not my language

this is not my language