text for screening for  “A New Experience of Love”(2016),”The Sound of a Horse Approaching”(2014) Maiko Jinushi
at Academy of Fine Arts, Vienna, 12nd December,2017

 

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About Maiko Jinushi

When people start to know Maiko, they find her comfortable. And at the same time, they also feel struck by her keenness she is trying to shoot through. I feel taut when noticing the uncertainties of her quality in which she adapted to grow with the sensitivity she has towards the world.

I also am a person that gets such impressions from her, that’s why I cherish her friendship.
The characters that appear in her video work, they hesitate or lose their words but try to lead an answer to her questions with their dialogue.
I hurt too, through feeling for them as they catch the tension, try to believe her, and try to read her words.

But in fact you only have a critical sensation if you want to love someone. Maiko tells this through her shooting.
And the most important thing I need to tell you. She tries to scoop up the potential to want to be involved, to fathom out, which is their strength.

——Kanako Tada

彼は、私の前で弱くなるのが難しいと言った。

私は、彼の前で強くなるのが難しいと思った。

 

この2行が向かい合っているように、

私たちもテーブルを挟んで、向かい合っていた。

ヨーロッパに来てからめっきり床に座る習慣が無くなってしまって、

そのことは私達の関係にもシリアスさを加えているよう。

 

 

 

次の日、拾ってきた木材や植木鉢を使って、小さなちゃぶ台を作った。

そのそばに座って、とりとめのないことを話した。

カーペットの上にごろんと寝転ぶ彼は、大きな猫みたいにリラックスしていた。

 

 

 

日本語は難しい。

一つの形容詞や副詞に、沢山の意味がこめられていて、それを使いこなすのに必死でいつのまにか見えなくなるものもあるのだ。

 

 

 

私は誰かと家族になりたいと思っているけど、

一人暮らしが長かったので、なんでも自分でやってしまう癖がある。

他人が何かしているを落ち着いて待つことができない。

 

 

 

この人と家族になりたいと思えた人が居た。

彼の家族に会ったとき、彼の家族ごと私は全てが気に入ってしまった。

 

 

だけど人生80年、そう巧くはいかないものだ。

私は生を貰って、自分の性格を、感受性を貰ってここにいる。

 

 

全部自分のものだって言うと、わがままかもしれないけど、

もう28歳だし、自分で舵を取る楽しさが、作品にも人生にも、有る。

 

 

私は日本語の世界にも英語の世界にも自分を閉じ込めておくことができない。

だけどこの2つは、圧倒的に違い、確実に似ている。

 

 

He tries to be weak, で、

私は強くなろうとしている。

 

 

この2人は電話で話しながら、お互いにお互いが見ている景色の美しさを説明する。

彼女は一本の木の背が高いところを褒め、彼は水面に浮かぶゴミ袋を写真に撮りたいと思う。

しかし結局、彼らは同じ公園を散歩していて、5分後にこの偶然を信頼の証として忘れないでいることに決めた。

 

 

 

 

 

28th.Oct.2017

どこが大文字になるのか、どこが小さくなるのか。

果たして私の作品は饒舌な生き物なのか。

英語は饒舌か。日本語は寡黙か。

漢字に生かされ、ひらがなに殺される性よ。

ただ、笑え。

眉毛の一本も無駄にしてはならない。

こうしてただ生きているだけなのに

どうしてこんなにお金がかかるの。

爪一本を塗りたいことは

贅沢なことなの。

 

 

 

—-3rd October 2017

How am I?_______(silence)

_____I don’t know.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13rd.June.2017

 

 

 

 

 

 

 

 

About “blink”

 

 

“Hand” is a symbol of anonymity and identified.

Of course how treat to kind of identity is definitely unavoidable theme for art works.

Therefore when I start to make some portraits, inadvertently try to erase (instead of express) to any categorize (skin color, eyes and clothes…)

 

 

One Japanese philosopher says,

“ We are people first, and a nation second.”

(我々は民族的である前に人類的である。)

 

 

“Hand” contains some specific things plus it tries to tell us about a hand owner.

Treating “ hand” is tantalizing…!   Well….. it is not directly way to expression, I know.

Therefore I make sense to this way: how to use “hand”.

 

 

13rd. July.2017

今話してることよりももっと言いたいことがあるのに

こんな状態の体ーー誰かに首を締められているときの安心感のほうがまだマシだ

そんな言葉でいいの!?

いつもフローティングする、滑っていく、どうしよう、どうしようもない

「風が吹いてカーテンの隙間だ開く、光があらわれる」

この程度の情報は、誰かと共有した方がいいのかもしれない

どこに行くのか、どこに居るのか分からない

風、が吹いて、散らばるオセロの白と黒と

マジョリティなんかすぐに変わる

聞き取れなかった歌詞

次のメロディーが来るまで

それを口のなかで泳がせている

7.May.2017

言葉が、分かる、と分からない、の間、はあるのだろうか。

例えば少し自分がかじった言語を話す人が目の前にいたとして、その人が話す言葉のいくつかの単語だけが分かる状態。ただ私は予測することしかできない、分からない、という空白を予測で埋めるしかない。(分からないことが接着剤になるの?分かるということが薄利剤になるの。)

私は、あなたのことを分かりたいと思う。どこで生まれたとか、何が好きとか、この間泊まったロンドンの古くさいホステルの話とか今話してることじゃなくて。それは知りたいことであって、分かりたいことじゃない。言葉が分からないと、私達は簡単に「理解できない」というレッテルを人に貼る。私にとって単なるメロディーに聞こえるその外国語は、あなたにとって、あなたの体重がのっている言葉だ。あなたにとってメロディーに聞こえる私の言葉は、私にとって、他人とコミュニケートする重要なライフラインだ。

年を取り、近い将来私は言葉を忘れていく。病に蝕まれるように少しずつ。その時に私はあなたを忘れるのだろうか。触覚ーーもしかしたらそれだけが、最後まであなたを覚えている私の手段かもしれない。容量のあまり多くない私の脳みそは、最近母国語すらも(生きていくために)勉強している外国語に押されて、怪しいものになっていく。家族とももうすぐお別れ。だけどそんなに悲しいことじゃない。少し聞こえる音、老眼でぼやけて見える形。

はあ。触れる手だけが、いつまでも若々しく、私に生きる希望を持たせようとしていじらしく憎い。

5.May.2017

this is not my language

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