seasidepoolside

「得た手はずっと伸び続けて、時々はそれを自分で切り落とさなくてはならない。 だけどもしその義務を一日だけ忘れたとして、 傷んだ右手から新しい手が生えているのを見つけることができたら。」

 

——seasidepoolsideハンドアウトより。

2016.11.4

四本足

二本足

奇数の足は無いものか

性愛

無性愛

突然誰かを思うこと

「歩くことを止めないというルールだけがあるのです」

自分の棺桶には誰も連れていけない

友情

なんでもないからだ

情報で小さくなる

失くしたと思っていた

スケジュール手帳は

鞄のなかに入っていた

よかったまだ人でなしじゃなかった

熱が出て転んで頭を打った

偶数の足を持っていたからだ

憧れの一本足

歩くことを夢見る足

義足を隠された子どものように

誰かにそばにいて欲しいと

簡単に考える

馬鹿げた午後でした

個展『voice』と最近のこと

‘voice’とゆう展示名にしたのは、

グーグルでこの言葉を画像検索した時に、大衆へリーダーが話しかけているような画像と同時に、

隣に居る人にこそこそ耳打ち話をしているものも出てきて。

それを見た時にどちらもそんなに変わらないものなんじゃないかって思って、この名前にしました。

大きい声も小さい声も、ぜんぶ「声」なんだなあ~と。

私は、ここぞって時に声帯がきゅって締まって声が出なかったり、今!?って時に言い過ぎちゃったりすることがあって。

だったら何も言わないでおこう、言わないとばれないってすげー便利だなーってひねくれた自分もいて。

だけど、自分と「絵」の関係を考えた時に、もうそんな子どもみたいなこと言ってられん!

だめだめ!とか思ってたりして、(こういうことを考え出したのはちょうど大学院に入った頃だった。)

晒すってどういうことなんだろう、非難されてもかまわないってどういうことなんだろう、誤解を恐れないって、どんな時に思う気持ちなんだろう。我慢したりすごい放出したり、だけど世界と共にあるってどういうことなんだろう…

どんな時でも生きていこうって、生まれる前に多くの人がもしかしたらかみさまに誓って、雑菌まみれのここにやってきている。

一昨年に大学で聞いた何かのイベントのトークで、

「最小限のもので最大のものを語る」っておっしゃってた画家の方がいた。

私にとって「誰にでも分かることばで絵を描きたい」ってことがあって、

普通、(普通ってなんだろう笑)の絵が描きたくて、混乱のなかにあるロジカルなものが表面にあって、

絵の具が風景をつくる単語みたいなもので、筆使ってる時は話してる状態に近いのかな。

客観というには柔らかく、人に届くように、というには白々しく聞こえてしまう

このアイデアを、どうにかこうにか無理矢理箱に押し込めて、

配達できるような形にしたが、この『voice』ということばだったのです。